ひとり娘の成長記録

発達障害児の子育ていろいろ

5歳(「やめて!」が言える時と言えない時がある)

だいたい子どもはみんな内弁慶だったり、家と外だと全然違ったりしますよね。

娘も家では「はぁ!?」とか「わかってるよ!」とかプチ反抗期的な感じがあり、お友達に何かされてもそのくらい強気で言い返せれば良いのに、と思うのですが外ではそうはいかないようです。

ちょっとヤンチャな男の子に何かされたらショックと驚きでだいたい大泣きしてしまいます。

でも、男の子でも仲の良い子にはきちんと大きい声で「やめてよ!」と言えてるみたいです。(言ってるところを見ました。)
それでそのあとまた仲良く遊んでたので、まぁ仲がいいからこそなのかな、と思いますが、、。

これから小学生になればまた新しい世界に飛び込んで行くわけで、とにかく口が達者な子、強い子、意地悪な子、たくさんいると思います。
娘は他害はなく、平和主義なので、意地悪なお友達は「ほっとけばいい」ではなく「それでも仲良くしたい」と思うタイプなようです。

小学校では先生の目も行き届かないだろうし、自分である程度は対処していかなくてはならない場面が増えていくと思います。
発達障害自閉症スペクトラム)のある子は特にコミュニケーションの部分が弱いので、親も1番心配するところだと思います。いじめられないだろうか、と。
平和主義なのは娘の良いところでもあるのですが、心配です。

でも男の子に、「やめて!」と強く言えていたのは意外でした。少しずついろんなことに慣れて、打たれ強くなっていくのかなぁと思います。


そういえば今日、近所のおばさんに挨拶されて、私が「こんにちは」といった後に娘も小さな声で「こんにちは」と言えていました。
前は言えなくて陰に隠れていたのに。
私から「挨拶しなさい」とかも特に言ってなかったのですが、本人なりに挨拶はしないといけないものだ、と思っていたのかな。
また一つ、成長を感じた出来事でした。

5歳(ピアノ練習はごほうびシールで頑張れる)

ピアノの練習、だんだん難しくなってきて、やる気激減。

なんとかやる気を起こさせるため、ごほうびシール作戦をやってみました。

何の曲でも良いから(宿題の曲じゃなくても、昔の右手だけの簡単なやつでもOK)、1回練習したら、一枚ノートに貼れる。

何十枚かたまったら、ごほうび。

ごほうびは、塗り絵や漫画など。大きいおもちゃはうちはクリスマスや誕生日などお祝い事の時のみなので、ちょっとした数百円のもので、本人と相談して決めます。

ただ、ごほうびにたどり着くまで遠すぎるのも、嫌になってしまいそう、、なので途中でお菓子のご褒美とかワンクッション入れます。

前までは、うまく弾けないと一曲弾き終わった時に泣いてしまうことが多かったのですが、
とにかく1回弾き終わったら良いも悪いも考える間も与えず「はい、シールどれにする?」と選ばせます。
そしてノートにペタ。「できたね」とか「頑張ったね」とか書いてあるやつだと特に嬉しいみたいです。
うまく弾けなくても、とにかく練習したことに「がんばったね」と目で見てわかるようにする。どんどんたまっていくと、「あと3回でご褒美だー!」と一気に3回続けて練習します。

前までは「うまくできない」「つっかえた」とかそこに意識が行っていたのが、
「シール貼りたい」「あと何回でご褒美だー」に意識が行くので、下手だろうと何だろうと、やってみるようになりました。
難しければ、右手だけでも、左手だけでもOK。どの曲を弾くかも本人が好きに決めて良い。何回もピアノに触れて繰り返しやってるうちに上手になっていくのがわかります。

「ピアノ上手くなるためにたくさん練習しよう」とか「なんども練習したらプロみたいに弾けるようになるんだよ」とか説得してもなかなか子どもは練習の必要性が理解できない。ピアノだって楽しめれば良いくらいで、別にそこまで上手くなりたいとは思っていないでしょう。。将来のことなんて考えられるわけがないし、子どもは「面倒」「つまらない」の方が勝ってしまう。
ごほうびがあったほうがやっぱり楽しくできるようです。ピアノ練習=面倒、つらい、というイメージが付きつつあったので、ピアノ練習=楽しい!ごほうび!、のイメージになってくれたら良いなと思います。

とは言ってもこの作戦でいつまで本人のやる気が続くのかわかりませんが、、、

弾けるようになった、とか花マルをもらった、とか「結果」に対してごほうびを与えるのではなく、「練習」したことに対して、ごほうびをあげるというのは良いことだなと思いますし、娘には合っているようです。

5歳(負けず嫌いは良いこと)

負けず嫌い。
完璧主義。
白か黒。
100か0。
失敗を極端に恐れる。

娘の性格です。
私はずっとこれを「性格」としてではなく自閉症スペクトラムの「特性」と捉えていました。
ただの負けず嫌いではなく、勝ちに対するこだわりが強過ぎるのです。
じゃんけんでも、占いでも、負けたり順位が低いと泣いてしまうような子でした。

なので私は、「負けて悔しいのはわかるけど、泣くのはやめようね」とか、「悔しい気持ちは心の中にしまっておこう。」とか、「あなたがそんなに泣いてたらみんな楽しく遊べないよ」とか、「負けても『まぁいっか』だよ」とか言っていました。
実際そのようなことも本に書いてあったりします。それが「療育」だと。

最近またある事がうまくいかなくて泣くことが増えました。
その話をした時に、知人が(身バレ避けるため詳しくは書けませんが)
「負けず嫌いは良いことだよ。悔しいって思う気持ちも大切だよ。こんなに頑張ってるもんね」と言ってくれました。
そのときハッとしました。私は今までずっと間違っていたと思いました。
なんで今まで娘の気持ちを否定し続けていたんだろう、と思いました。
そうだ、こんなに娘は頑張っているのに。
頑張っているからこそ、悔しいし、泣くんだ。
負けず嫌いって、勝ちにこだわるって、悪いことじゃないんだ、、
泣いて喚いて暴れるわけでもない。
だったら泣いたっていい。
どうしてもっと早く気づかなかったんだろう。

ずっとずっと、「悔しいのはわかる『けど』、泣くのはやめよう」とか、結局娘の気持ちを否定していたんだな、と。
泣いて悔しくて悲しい時に、どうしてまっすぐに受け止めてあげなかったんだろう。
本当に可哀想なことをしてしまいました。
療育だから、娘のためだから、と結局娘を追い込んでいたのは私でした。

そして娘がまた同じように泣いた時に、
「泣くってことは、それだけ真面目に、真剣に、頑張っている証拠だよ。とても良いことだよ。えらいね。いつも頑張ってるね」と言いました。
すると娘は笑顔になりました。
娘を笑顔にするのは、こんなに単純なことだったんだな、と思いました。
「気持ちを受け止める」というのが1番大事。頭ではわかっていたはずが、結局「療育」ということにとらわれ過ぎて真逆の対応をしてしまっていました。

頑張っていたことを、認めてあげる。
気持ちを受け止める。
否定しない。

発達障害児の子育てでは当たり前のこと、自分ではそう出来ている「つもり」だっただけでした。

知人の言葉のおかげで、何かものすごいヒントをもらえたような気がしました。
娘がちょっとしたことで泣いたとき、前はイライラすることもありましたが、今は泣いても、何か愛おしいような、あー可愛いなーと思えるようになりました。

なんだか必死になり過ぎていたのかな、と。
昔の写真を見て、「あのときは大変だったけど可愛かったな」「小さくて可愛かったな」と、いつも思うのは後からで、目の前の娘に対しては必死に身構えているような、、本当に心から目一杯愛してあげられているのかな、と。
とにかく気付けてよかった。
今の目の前の可愛い娘を、その時その時を大事に、育てていこうと思いました。

初めての場所は大人でも不安&心の余裕

初めての場所、初めての人、初めてのチャレンジを極端に恐れる娘。
行くまでは散々でも、行ってしまえば、慣れてしまえば大丈夫。
その最初のハードルが高過ぎるのが娘の特性でもありますが、
私も最近、初めての場所に1人行く機会がありました。
初めての場所、初めての人達に囲まれ、自己紹介をし、久々に緊張しました。
でも一度行ってしまえば、なんとなく雰囲気もわかり意地悪な人もいないとわかり(笑)安心して次回からは行けそう。これって娘と同じじゃん。。と思いました。

娘はあの緊張感を常日頃感じているのか、、と思うと、娘の気持ちが少しわかったような気がしました。
事前にどんな人がいて、どんな場所なのか、何をするのか、、わからなければ不安、わかれば安心。
やはりどこかに行く前に、事前に色々説明してあげることは娘にとって大事なことだなと思いました。自分もたまには不安や緊張を感じるのも悪くないなと思いました。

今日は休み明けの幼稚園でしたが、いつも遊ぶお友達+何人かで楽しく遊んできたようです。運動会の練習もそろそろ始まっているらしい。体調崩さないように、気を付けてあげなくては、と思います。

今日のように穏やかに明るく楽しく毎日過ごせれば良いのですが、時々気持ちが沈んでしまうのは娘にも悪影響なのでなんとかしたい。
サプリメントや、ハーブティー、漢方などで鬱々とした気持ちやイライラが収まったりするのか、、わからないけど試してみたい。色々調べてはみるけれど、怖くて手を出せない。という感じ。笑
そこに手を出したらずーっと一生それに頼ってしまいそうで怖いです。

私の場合、「子育てだけ」「子供がらみの予定だけ」になってしまうとどうしても色々考える時間が多かったりして良くない傾向にあるので、
自分の時間で、子育て以外の場所で、自分の居場所を見つける、というのが一番良さそうでした。
どこかないかとずっと探していて、先日その新しい場へ勇気を出して飛び込んでみましたが、疲れとは裏腹に気持ちはスッキリでした。

早く仕事が出来れば良いのですが、娘は風邪をひきやすく入院も続いたりしてパートは退職したので、もう少し落ち着いたらまた仕事も再開したいなと思います。
働きながら子育てしている時は、時間に余裕はなくても不思議と気持ちに余裕がありました。
もちろん仕事はせず子育てに専念した方が心に余裕ができるという人もいるかと思います。人それぞれですね。

子育て以外の自分の居場所があるというのは私にとっては大切なことだなと思いました。

2人目を産まないと決めた理由

以前、遺伝が怖いので、二人目は産まないと決めた、と書いたことがありますが、
娘の成長を見てきて最近思うのは、二人目を諦めた理由は、「発達障害の遺伝の可能性があるから」だけではないんだなと気付きました。
なぜなら今の娘を見ていると、「もう一人大丈夫かも。」と思えてしまう自分がいるからです。何より娘もそれを望んでいるのもわかっています。
それでも2人目を産まないと決めたのは、経済的理由や、環境(預けられない)や、自分のメンタルの弱さ、仕事のこと、などいろんな理由があって、自分の中で「今の状況では到底無理だな」と思うからです。
「娘に障害があるから諦めた」と言ってしまうと、「娘のせいで」みたいになってるような気がして。
障害を受け入れてるはずの自分が、『二人目も障害があったら、、』と躊躇してしまうのも、結局私自身が娘の障害を受け入れられているようで100%受け入れられていないのかもしれません。
娘は何も悪くないし、私の気持ちが変わらないことには2人の子を育てるなんてまずできないと思います。

もしかしたらこの先、娘も大きくなって一人でお留守番できるくらいになって、そのくらいになったら、また「二人目いけるかも」の気持ちが出てきてしまうかもしれません。
高齢出産と言われる年齢に差し掛かった頃に、タイムリミットを感じた時に、やっぱり生みたい!と思うんでしょうか、思うのかもしれません。

でも今は「2人目は産まない、今の幸せを守ることが第一。」と思っています。

自分の気持ちが一年後二年後にずっと同じでないこともわかっています。
あの時はああいう風に思ってたけど、今はこう思えるなんて、とか真逆だったりすることもあります。

来年再来年、三年後、五年後、、
自分の気持ちも、娘も、周りの環境も、どうなっているのか、、自分でもわからないので、楽しみです。

5歳(相変わらず失敗を恐れる)

ちょっとお絵描きがうまくいかなかった、
ちょっと間違えた、、

こういう時に泣くのが未だにあります。
「あー間違えたー!」と明るくおちゃらけて言える時がほとんど、、だけど
「うわぁぁぁーーん!」と大泣きすることもある。

鉛筆で描いたなら消しゴムで消せばいい、また書けばいい、
失敗したからって誰も怒らない、、
とわかっていても失敗、負けが嫌。

これはなかなか直らない。

さすがに昨日は私もイライラして、「うるさいなー」とか「何度言ったらわかるの?」と言ってしまった。
かなりのNGワードですよねこれ。

もう発達障害児の親はNGワードでがんじがらめにされてる上になんでも優しく諭すような母親像を追い求め続けなくてはならない。
けっこうしんどい。けど娘はもっとしんどいんだね。わかっているけど、、と、自己嫌悪。久々に泣きたくなりました。

反省した私は今日は「スモールステップで褒める」というのを実行してみました。
ピアノの練習をするときも、両手で一音ずつでも弾けたら「すごい!天才!」ともうヤケクソ気味に褒めまくりました。
そうしたらいつもは新しい小節へ進むのを「できない〜泣」と躊躇するのに、私が手を出そうとすると払いのけて「自分でやってみる!」と挑戦していました。
そしてまた一音でも弾けたら褒める。
そしたら次も頑張って進めていこうという気になってやってみる、なんやかんやで一曲完成!
「スモールステップで成功体験を積む」
って本当に子どもにとってはエネルギーになるんだな、自信に繋がるんだな、と実感しました。
毎日四六時中こうやって接してあげられたら良いのに、自分の器の小ささを痛感する。
自己肯定感を高めてあげなきゃいけないのに、私のせいで低くさせてるような。

私は将来恨まれるような親になるんだろうか。
娘を自分の理想通りに当てはめたいだけなのか。
母親になりきれてないんだろうか。

とか、色々考えました。


なんだか前回のブログの内容と真逆なこと書いてますが。笑
月一くらいで凹む日があります。それがきっと昨日だったんでしょう。。
ということで。



明日は、娘とたくさん爆笑し合えるように、明るく向き合いたいと思います。

5歳(障害について考える時間が減った&ちゃおサマーフェスティバル&人見知り)

年長児、通い慣れた幼稚園、トラブルもなく、毎日平和。

もちろんできないことや苦手なことは特性としてあるけど、日常生活でそれを障害として感じることが減って来ました。
毎日、毎晩、発達障害について考えていた時と比べると、今はだいぶ減ってきた。
こういう油断が、「もう大丈夫じゃん」「定型発達と変わらないじゃん」って考えになると、本当に本人が辛いときに気付いてあげられないかもしれない。だから忘れちゃいけない。けど考え過ぎてもいけない。
なんでも「障害」から来る特性だと決めつけても良くない。
難しいな。


話は変わりますが夏休み中、「ちゃおサマーフェスティバル」に行って来ました。
娘は漫画が好きで、「ちゃお」はまだ早いけれどちゃおに載ってる漫画をいくつか知っているので、行ってみました。
人混み、行列、騒音、刺激の強いカラフルなものがたくさん、、
発達障害児には厳しい?けど本人が喜ぶだろう!と、行って来ました。
結論から言うと大喜びでした。
カードゲームの方は朝から並んだりしていたようですが、他のブースは並ぶといっても長くて30分くらい。
ちゃんと入れるかもわからなかったですが10時頃フラッと行って特に入場制限もなく。
新作のおもちゃの体験や、スタンプラリー、ガチャガチャや宝探しゲームなど、満喫しました。
並んでる時は「まだ〜?」「足が痛い〜」と文句たれていましたが、もらったパンフレットを立ち読みしたりしながらなんとか並んでいました。
とにかく人混みとガヤガヤ音がすごくて大人でも疲れる感じでした。
「トイレ行く?」と聞いても「いやだ!行かない!」だし、
「休憩する?」と聞いても「大丈夫!しない!怒」という感じで、なかなか外に出れませんでしたが
「次の(ブース)終わったら昼ご飯たべるから一回外出よう」と言ってからなんとか外に脱出。
外に出て、お昼ご飯。
そしてまた再入場。

たっぷり楽しんでいました。
帰りは疲れ切って手を繋いで引きずるようになんとか歩いていましたが、
去年おととしの娘だったらこんなところ絶対連れて来れなかったし(人混みやガヤガヤした場所は落ち着きのなさ倍増、ちょっとしたことで癇癪を起こしたり制御不能になるから)と思うと、家族で楽しめる場所が少しずつ増えてきて嬉しいなと思いました。


それから、また別の話、最近また人見知りが出て来たような気がします。
家ではおちゃらけていても外では恥ずかしがったり、そういう感情が芽生えているのは成長だな、と感じます。

娘の人見知り遍歴は、

異常なほどの人見知り場所見知り
→誰にでも話しかける(全く知らないおじさんでも)
→誰にでも話しかけることは減り、知ってる大人の人なら挨拶もそれなりにするが初めての場所は苦手
→挨拶されると私の陰に隠れる

です。

今はご近所さんに話しかけられても、顔も見ようとせず私の陰に隠れます。
成長とともに、こんなに変わるものなんですね。
とりあえず挨拶くらいは言えるようになってほしいけど、今はそういう時期なのかな、と、あまり強要はしていません。
娘の中で「挨拶しなきゃいけない」というのが強くなりすぎると余計人に会うのが怖くなったりする可能性もあるので。
娘なりの心の成長を見守っていこうと思います。

5歳(ゲームやスマホはどうしてるか)

現代っ子ならではの問題。
スマホのアプリでゲームをしたり、YouTubeを見たり、DSなどのゲームで遊ぶことについて。何歳からやらせているか、1日どのくらいやらせているか。

幼児には「与えない」が正しいのかもしれませんが、うちはスマホでゲームやYouTubeはやらせています。
家では、1日1時間まで。(場合によってはご飯の前まで、など。)
外では基本禁止。ですが、場合によってはやらせていたこともありました。最近はよほどのことがない限り外でやることはありません。

2歳頃から、小さい子向けのアプリを触らせていたこともありました。
電車の中や、病院の待合室、「待つのが苦手」な娘を大人しくさせる最終手段として、使っていました。
待てないからといって一度与えてしまうとそれが癖になるのでは?とか、待っている時に与えなかったら癇癪を起こすのでは?とか、いろんなことも考えましたが、2歳頃は特に自分から要求してくることはなかったです。
気が移りやすい娘は一つのことに集中するよりも、いろんなアイテム(本、おもちゃ、お菓子)を代わる代わる、といった感じでした。

ただ、2、3歳頃はやはり刺激が強いのか、スマホを見た後は落ち着きがなくなったり、疲れたりしていました。なので完全にNGにはしていませんでしたがなるべく見せないようにはしていました。

話がある程度理解できて約束を守れたり癇癪が減ってきた4歳頃からは、ゲームは「与えない」ではなく、「与えるけど時間は守らせる」というのが娘には一番良かったです。
「やってもいいけど、◯分になったらおしまいね」とか。
YouTubeは2個見たらおしまいね」とか。
必ず条件をつけてから渡していました。
約束以上のことをやりたくて癇癪を起こすこともないですし、時間になったらこちらから声をかければだいたいすんなりやめていました。
もし約束を守れなかったら、次の日は絶対にやらせませんでした。

今は自分から「ゲームやっていい?」と聞いてきます。「いいよ」というと、「何時まで?」と聞いてくるので、「今から1時間後は何時何分?」と言うと時計を見て「◯時◯分まで」といった感じで、自分で時計を見ながらやり時間になったら自ら止めています。
決められた時間の中でゲームをしたりYouTubeを見て、「あと10分だから、この動画は20分だからちょっと長いな〜、あ、これなら短いから見れる!」とか言いながら時間の計算もしながら見ています。

ゲームの時間の決定権は私(母)にある、というのが当たり前になっているので、その日その日で時間が違ってもその通りに守ってくれます。
YouTube(娘は『かんなあきら』が大好きです)は、一緒に見てあげると喜びます。「何これー!」「面白いね!」とか「これやってみたい!」とか言いながら一緒に見ています。

しばらくはこのルールでいこうと思っています。

私が小さい時にはファミコンがあって、年長さんくらいからやっていたような記憶があります。
ファミコンゲームボーイやちっちゃいテトリスのゲーム、スーパーファミコン、、いろんなゲームをやってきましたが、大事なのは「時間を守る」「やり過ぎたら何かしらのペナルティがある(次の日はできないなど)」ということかなと思います。

脳科学的に、医学的に、療育的な観点で、、とか言いだせば「小さいうちは完全に与えない」が理想なのかもしれません。
やり過ぎてゲームのことばっかり考えるようになってしまった、とか、落ち着きがなくなった、とか、
逆に全く与えなくてその反動で他の子の家に行った時ずっとゲームばかりしている、なんていう子もいるとか。。
ゲームをやらせるかどうかは親御さんの昔の経験や、周りの環境、子どもの特性などによっても変わってくることだと思います。

男の子と女の子でも違うかもしれません。

正解がないので難しいですね。