ひとり娘の成長記録

発達障害児の子育ていろいろ

5歳(問題がないように見えるタイプ)

娘は保育園の時はそれこそ「多動」や「こだわり」があり、癇癪もあり、コミュニケーションも乏しく、わかりやすかったのですが、今は「問題ないですね」とか「どこが問題なのかわからない」と言われるくらい、集団行動での不適切な行動は改善しました。
だけど、それは目に見える困り感がなくなってきただけで、実際私から見ればまだまだ問題はあるのです。
例えば私と二人で公園に行ったのに、未だに楽しくなると遠くへ一人で猛ダッシュしていってしまうことがあります。誰かと競争してるのか?と言うくらいの速度です。
呼べば振り返るようにはなりましたが、楽しくなってテンションが上がると、周りが見えなくなります。
あと他の人が話していると、全く知らない人たちなのに、その人たちの話が気になってそっちの方を見ていたりします。
自分に関係ない話まで、耳が拾ってしまうような感じです。
それでも昔はそのままその会話に入ってしまったり、知らない人に話しかけたりしてしまっていて、今はそんなことはないので問題はない、問題なくなったと言えばそうなのですが、「自分に必要な音や声だけ拾う」という能力が低いのは相変わらずで、そのせいで本人が見えない苦労や不快感を感じることもあるかもしれないのです。
ざわざわした教室で、先生の声を聞けるのか。
広い教室で、グラウンドの声、廊下の声、いろんな声が聞こえてくる中で、一切指示が本当に通るのか。
今も集団行動はできているし先生の話も理解して個別の声かけはなくできているけど、1から10までちゃんと聞けていたのか、周りを見てなんとなく合わせられていただけなのか、、
目立った問題行動がないから、問題ない、まじめ、優等生に見えるからこそ、本人は苦労するかもしれない。
いつもどこでも目立ってばかりだった頃を思えば、親としては成長したな、と思うのですが、本人の大変さが消えるわけではないということを、忘れてはいけないと思っています。
普通の人が無意識で生まれつきできることを、頑張らないと出来ないわけです。そういう何気ない日常の動作、コミュニケーションに気力体力集中力が常に必要なのです。
だから娘のことに関して、考えすぎ、とか、そんなに問題ないと思う、と言う言葉は、ありがたいけど、100%そのまんま受け取れないのです。
「(成長して)良かったね」「軽度でよかったね」と言う言葉も、素直に受け取れないのです。「良くないよ。これから苦労するかもしれないのは、子どもだから」と思ってしまいます。

前に障害児を育てるお母さんが「障害じゃなくて個性でしょ」と言われることに対し、そうじゃない、そんな甘いもんじゃない、障害は障害、特性は特性だ、というようなこと(かなりうろ覚えなので原文とは違います)を書いたら炎上したようですが、私はその人の気持ちや言う意味がなんとなく理解できました。